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記事一覧

シンプルな「語りかけ」のワーク

「語りかけ」のワークは、いつでもどこでもできるものですが、最近、シンプルにつくることと、パターンの言い分に「私」が耳を澄ましながら「語りかけ」を行う練習をしているので、なおいっそう、いつでもどこでもできるようになりました。今でも最初は書きますが、語りかけが短いので、「あれ?なんだったっけ?」と戻る必要がほとんどなくなりました。ノートなどに書いているときは、どうしてもそれを読んでしまいます。でもそれ...

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自分が非力だなんてありえない、というパターン

私には「自分は非力だ」というパターンがありますが、このたび、非力に関したパターンで「自分が非力だなんてありえない」が新たに加わりました。このパターンは「自分は非力だ」というパターンを全力で否定し、総攻撃します。徹底的に嫌い、憎んでいます。嫌過ぎて、"ありえない" のだと思うんです。"ありえない" というのは、存在しえない、存在の可能性がない、存在するワケがない、絶対に許されない、認め...

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心身の健康

自己探求は、心のみならず、体にも良いと思います。例えば以前の話をすると、私は「認めてほしい」というパターンが大きかったです。そして、その頃は、昼間は仕事で考え、夜もそのまま考え、寝付く時も、寝ている最中も、朝起きた時も考え、、、ということが普通でした。その時は、どうすれば認めてもらえるのか、なぜ認めてもらえないのか、そんなことばかり延々と考えていました。そして結果的に私は頸椎症になり、首を痛めまし...

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アーモンド、育ってます!

近所のお寺に見つけたアーモンドを、観察しながら愛でています。週末も見て参りました。かなり大きくなっています。▽3週間前のアーモンドの写真はこちらにあります。https://blogs.yahoo.co.jp/go_jiseijuku/GALLERY/show_image.html?id=38437519&no=0...

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体内を見る内なる眼差し

昨日のバレエ教室では、他(自分の前の人)を見ながらも、自分の意識は体内に向いているのを感じました。バレエ教室では、先生から、「頭を高くし、鼻先で前を見なさい。」と言われます。動きがわからないので、目の前の人の一挙手一投足を見たくなってしまうのですが、視覚的に焦点を絞らず、視野の中で漠然と目の前の人の動きを捉えようと、努めます。また、先生はいつも、気をつけるべき動きを説明した後で「そうありたい」と言...

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男性も、女性も、ない

今日のバレエ教室で、新参者の私のお手本となってくれたのは、お教室で唯一の男子でした。中学生らしい。中学生の男子だったら、ゲームざんまいだったり、ともだちと遊んだり、という感じかと思うのですが・・・すらっとした高い背、腕、足。ちっちゃな顔!長年のバレエレッスンでそういう体型になっていったのかもしれません。レッスンのとき、思わず見とれたのが、手、指です。とてもきれいでした。また、指先の動きも美しく、す...

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お稲荷さん

新緑が落ち着き、あじさいが咲く季節になってまいりました。そんななか、お稲荷さんに「稲」を発見しました。昨年の今頃も、すくすく育っていく稲の写真をたびたび載せていましたが、この季節がやってきたんですね〜。おいなりさんの語源は「イネがなる」ことらしいので、文字通りです。多くの実りをもたらしますように。▼自分と向き合うセッションを行っています。http://jiseijuku.com/services/personal_development.html...

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気が頭に行きがちなときは・・・

時折、頭に「気」が行きがちになります。なんとなく、頭のほうへ「気」が上がっているなぁ、と感じることがあります。パターンが考え続けることはだいぶ減りましたが、ふだん、考える作業では頭を使い、思考します。そういうことが続くと、上述したような感じになります。どうしたら「気」が降りてくるかな?と考えてみて、私が試みているのは「語りかけ」のワークです。「語りかけ」のワークでは、パターンがどんな感じがしている...

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別な次元での改善

世の中や社会への不満を口にする人たちってけっこういるな、、と思います。中には、日本が他国に支配される可能性があると脅威を感じている人も。そして大体が「どーーするのー?そうなっちゃうよー?」とか「そうなっていくよー?いいの?」と言います。私は、、、例えそういうことになって、何だかよくわからないことが起きたとしても、常に自分と向き合い、そして、もし感じているのなら、自分の不安や恐怖と向き合い、自分を見...

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「私」が観察している

今日は久しぶりにカーッと頭にきたことがありました。まずは落ち着いて "これは「私」ではない" と、その感情を観察している「本当の私」が言いました。この、頭に来ている、この頭の中の熱さ、血が上っている、これは、「私」ではない・・・というように。「私」が観察しているそれ、一連の不快感、と「私」とは別である・・・というように。それから「あなたは、ああいう風にされると頭にくるんだね」という語りかけを...

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関わることをあきらめない

突然ですが、、、今日「関わることをあきらめない」ということばを聴きました。そのとき、私は、自分が嫌な事や嫌な人を前にすると、心の中に壁をつくる、線を引くなど、関わることをやめてしまう傾向にあるなぁ、と思い当たりました。俗にいう「ガラガラガラ〜とシャッターを下ろす」というような。私たちにとって嫌な事や嫌な人は、私たちそれぞれの中のパターンに気付くキッカケです。シャッターを下ろしているのは誰かと...

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選び続ける

最近あまりひっかからなくなってきたな、大丈夫になってきたな、というパターンに、ひっかかりまくる出来事がありました。それは「自分の思う通りの○○さんでいてほしい」というパターンです。その出来事の間、"それは「私」ではない" を意識すれば良かったのですが、後の祭り。そのマントラはどこへやら吹っ飛んでしまって、その人の言動が気になっている間中、「ああ、みっともない!!もう、いいかげんにこっちの思う...

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鍛錬

バレリーナの 吉田 都 さんの本『バレリーナ 踊り続ける理由』を、道場で共に学ぶ仲間に紹介してもらい、興味深く読みました。自己探求にも通ずる印象深い言葉が綴られていて印象的でした。吉田さんはバレエを通じて自分自身と向き合ってこられたんだな、ということがわかります。  千日 の 稽古 を 鍛 とし、  万日 の 稽古 を 錬 とす書籍の後ろのほうに、こう書かれているページがありました。この言葉を目にして、あらため...

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他人からどう見られているのか?

わりと最近知り合った方とお話をしていたら、私が「バリバリ仕事をしているイメージがある」とおっしゃって、私は驚きました。10年以上前ならそうだったかもしれませんが、今はバリバリ仕事をすることからは離れていると自分では思っているからです。「え〜?!そうですか??」と言うと「情熱的だし、一生懸命でアツイひとだと思って・・・」とのこと。人が抱く印象って面白いな、と思いました。また、別の視点で面白く感じ...

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誠意をもって

「本当の私」はパターンに対して実直に、誠意をもって接しています。例えば「語りかけ」のワークでは、いままでほったらかしにしてきた、無視してきた、ないがしろにしてきた自らのパターンに「本当の私」が誠心誠意、謝り、真摯に接しています。そしてこのあいだ、自分がミスをしてしまい、相手に謝ったそのとき、自分自身の謝罪の質が変わった、、と、ふと感じました。以前は相手を恐れて、あるいは相手が不機嫌になるのが嫌で、...

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井上ひさしさんの『子どもにつたえる日本国憲法』を読んで

「権力がほしい、権力さえあれば、、」と私のパターンは言いますが、井上ひさしさんの『子どもにつたえる日本国憲法』を読んで思ったのは、そのパターンが旧態依然とした権力イメージを求めているんだなということでした。なぜパターンは「権力がほしい、権力さえあれば、、」と思うのか。自問し、向き合う事が大事で、それをせずに権力を追い求めると、自分はとんでもない人間になってしまう、とちょっと怖くなりました。私のパタ...

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そういうふうにできているんだなー

話題は昨日と重複しますが、、本当のところはぜんぶ自分なのにも関わらず、どういうわけか私たちは他人など、自分を取り巻くものを見ます。まるで、そうしているうちは、自分の事を見ずに済むとでも言うように、、(笑)それもパターンがやっていることですね。それを自分は受け入れられないとか、受け止められないとか、それは認められないとか、、、自分の方へと向かって来るものを何とか交わそうと、自分以外を見る。自分を見ず...

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他人に向かう視線

ぜんぶ自分というところを取り組んでいますが、他人が介在した場合の感情や感覚の噴出(例えば、相手に対して腹を立てている状態)の方がまだまだわかりやすいと感じます。今までずっとそうやってきたため、単にそれに慣れているだけだと思います。また、自分で自分を痛めつけていることに無意識だと、他人に、その部分を癒してもらおうとします。これも無意識のうちに。そして、日常的に他人に求め、自分(のパターン)が思うよう...

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自分嫌い(ジブンギライ)なパターン

自分のことが嫌いな、強いパターンがあります。思い通りの自分でありたいという自分のパターンが、そうあれていない別の自分のパターンを嫌っています。それは例えば、「権力が欲しい」という自分のパターンが「自分は非力だ」というパターンを虐げる、みたいなことです。自分の中でパターン同士が勝手に拮抗して、勝手に膠着している状態。これは「私」が間に割って入って新たなパターンを選び変えないと、闘いはきっと収拾がつか...

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意味の変遷、意識の変遷

自らの感情や感覚を感じることを通して、自らのパターンと向き合うことを通して、「ぜんぶ自分なんだ」という気づきをこれまでに得てきました。そういうふうにして10年間、「自分と向き合って」きたわけですが、このほど新たな「ぜんぶ自分」というところに今はいます。いま、他人を介在させない分、自分のパターンにより的を絞った状態でブレがなく、より密度が濃いように思います。「ぜんぶ自分」の意味の変遷に、自らの意識の変...

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"ぜんぶ自分"の変遷 〜パターンをきっかけとして〜

自分の感情・感覚を "感じる" 練習をして(当時は感情を感じられなかったため)、そこから、パターンについて学び、本格的に自分の中を見始めました。パターンとは、信念、こうあるべきという考え、決めつけ、自分の体験を通して抱いた思い込み、他人から刷り込まれた思い込みなどです。エゴ、ビリーフ、シャドウ、セルフなどが他の呼び名です。そのことに気付いているかどうかは別にして、人は誰もがこの "パター...

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"ぜんぶ自分"の変遷 〜感情や感覚をきっかけとして〜

"ぜんぶ自分"の意味するところの変遷を書いてみようと思います。今では考えられませんが、10年前までは「他人からどう思われるか」(当然、よく思われたいワケですが)で毎日を生きていました。「器の大きな人間だと思われたい」と思っていたと記憶しています。「他人からどう思われるか」を気にして生きていると、いつも他人の目を気にします。アンテナは自分を軸にして他人のほうへ向いています。結果的に、自分の人生...

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ことばの意味するところは変わる

ぜんぶ自分なんだ、ということは、実は、以前も思っていたことです。結局のところ、全部自分、と。振り返ってみるとそういうことが何回かあったようにも思います。"そういうこと" とは「ぜんぶ自分なんだ」という言葉の意味が少しずつ変わっていくということです。同じことばなんだけれども、その時は、これを表していたけど、次のときはこれ、そして今はこれ、というような変遷がある。本人の中では、そのとき、そのと...

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「私」が引き取る

望む通りでない、非力な自分、何の力も無い自分がすごく嫌いだったんだね、、と思います。それはでも、衝撃的ということでもなく、どこか合点がいく、納得感があるもので、とても落ち着いている自分がいます。以前はパターンの奥のほうから、また別のパターンが出てきたりすると、ウゲ〜ッ!などと思ったものですが(笑)、今回はそういうショックのようなものは特になく、しずか。このことを少々不思議に思います。ずーーー...

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ぜんぶ自分

ここのところ、先生のご指導のもと、視点をさらに自分に向けた「語りかけ」に取り組んでいます。他人の言動が自分のパターンにひっかかり他人の言動に対して不快感が湧く、というのがこれまでの構図でした。今、やっているのは、他人の言動が自分のパターンにひっかかり、"パターンが望む通りではない自分" に対して不快感が湧く、という構図です。他人はキッカケとして存在しますが、あとは介在しません。こうしてみる...

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ゆっくり、じっくり

ゴールデンウィークは自分のパターンと向き合いながらゆっくりと過ごしていました。「他人の言動が腹立つ」というようなストレートで具体的なパターンと「権力がほしい」とか「自分は非力だ」といった漠然とした、だけど、かなり強いパターンと。その他、気になった諸々のパターンと。ゆっくり、じっくり、向き合っている分、パターンも「本当の私」にちゃんと向き合ってもらっていると思っていることでしょう。すばらしい信頼関係...

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アーモンド

昨日のお散歩で訪ねたお寺さんは、沢山の植木を置いていて、いつも楽しませていただいています。そしてちょっと前に、アーモンドがあるのを見つけ、わたしは飛び上がる程嬉しかったのでした。「うわーアーモンドだ!!」と顔を近づけて、ワクワクしながらその実をよくよく眺めていると、お寺の若奥さまが小さな女の子を連れてこられながら、「アーモンドです・・」と話しかけてきてくださりました。私は「ですよね!ですよね!生で...

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今日は朝、エックハルト・トーレさんのお話を聞きながら、久しぶりに拭き掃除まで行い、とっても気持ちがいい一日の始まりになりました。午後は、ゆっくりとお散歩。お花でいっぱい(今はバラ)のお寺さんへ。アーモンドの実が大きくなりつつあり、嬉しい限り。そこから野間記念館へ向かい、このページの下方にある、土田麦僊の『春』という作品を堪能しました。http://www.nomamuseum.kodansha.co.jp/collection/むせかえるような...

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『女装して、一年間暮らしてみました。』

『女装して、一年間暮らしてみました。』という本をいま読んでいます。ある男性(著者自身)が、ひょんなことから女装をするようになり、実験的なさまざまな体験を通して自分を見つめる話で、ドキュメンタリーです。自分を見つめる、その視線がまっすぐで、清々しいです。その過程で、本人も、奥さんも、友人たちも、かなり揺さぶられたようですが、どこまでも自分自身に正直な著者から感じるのは、和やかさや落ち着きです。自己観...

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「非力な自分、よし」だったなら?

パターンは他罰的(他人が悪い、他人のせいにする)だと思っていました。今、思うに、それはすべて自分に起因するということを受け止めきれないから、そうなるんですね。〇〇さんが嫌い、〇〇さんにこんなことされた、〇〇さんの言動が気に入らない、、、といったことにひっかかるパターン。それもこれもぜんぶ「思うような自分でない(非力で何の力も影響力もない、無価値でつまらない)自分が嫌い」だから。非力な自分、よし。何...

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プロフィール

マーガレット

Author:マーガレット
「マーガレットの日記」にようこそおいでくださりました。
私は、日々の出来事を通して、自分と向き合い、魂の探求をしています。
「自生塾」という学び舎をつくって、そこでカウンセリングも行っています。
このブログはそんな私自身の "観察日記" です。よろしければお読みください。
毎日更新しています。 

自生塾のHP
http://jiseijuku.com/

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